幼い春の日のこと
2001年4月23日幼い頃はよく 家族で山へ
わらびやらぜんまいやら 採りに行った
雨がえるが すいすい泳いでる
きれいなせせらぎの 脇の土手には
セリも沢山 自生していて
振り返りながら 母に
雑草と間違ってないか
いちいち確かめてもらいながら
セリをつんでいった
帰宅して さっそく
とりたての わらびやぜんまいを
重曹で煮てあくを抜くのだが
その煮ている匂いが大嫌いで
家じゅうに立ち込める
そのなまぐさい匂いから逃げるように
ゆだって すがしい香りの
セリと和えるための
香ばしいごまをする手伝いをしていた
大人になって
ぜんまいやわらびが やっとおいしいなあと
思えるようになった
ひとつふたつと
子供時代に受け付けなかったものが
食べられるようになってくると
うれしいというより
なんだか
せつなくなってくる
子供時代に飽きるほど
いつも食べたかったものが
大人になって金を稼ぎ
飽きるまでいつでも
食べられるようになった今
もうそんなに
それを欲しくもなくなってしまっていて
やはり
せつなくなってくる
あとは残したいと頼む子供ら
ケーキの箱にはしゃぎだす子供ら
そこここに 今も
あの春の日のわたしがいる
わらびやらぜんまいやら 採りに行った
雨がえるが すいすい泳いでる
きれいなせせらぎの 脇の土手には
セリも沢山 自生していて
振り返りながら 母に
雑草と間違ってないか
いちいち確かめてもらいながら
セリをつんでいった
帰宅して さっそく
とりたての わらびやぜんまいを
重曹で煮てあくを抜くのだが
その煮ている匂いが大嫌いで
家じゅうに立ち込める
そのなまぐさい匂いから逃げるように
ゆだって すがしい香りの
セリと和えるための
香ばしいごまをする手伝いをしていた
大人になって
ぜんまいやわらびが やっとおいしいなあと
思えるようになった
ひとつふたつと
子供時代に受け付けなかったものが
食べられるようになってくると
うれしいというより
なんだか
せつなくなってくる
子供時代に飽きるほど
いつも食べたかったものが
大人になって金を稼ぎ
飽きるまでいつでも
食べられるようになった今
もうそんなに
それを欲しくもなくなってしまっていて
やはり
せつなくなってくる
あとは残したいと頼む子供ら
ケーキの箱にはしゃぎだす子供ら
そこここに 今も
あの春の日のわたしがいる
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